多様性について
2016/04/18
広く九州を襲った地震に際し、
他者との共生、こと「多様性」について考えさせられる今日この頃です。
例えば、自粛することについて。
それを「当たり前」とする人もいれば「バカげている」とする人もいます。
どちらかが正しく、どちらかが間違っていると言えるでしょうか?
【局地的】に目を向ければ、
悲しい想いをされている方、被害を被った地域に対し、
今は楽しむことや賑やかなことは慎むべきなのではないか、と考えることもできるでしょうし、
【日本全体】に目を向ければ、
被害を被ってない地域の方々はいつも通りの生活を営み、
経済活動を縮小させることなく生み出されたものを被害を被った地域に役立てる、と考えることもできます。
どのスケールでものごとを見ているかによって、判断は異なります。
例えば、SNS上において、被災された方々に対して「祈る」、という行為(あるいは表現)について、
「支援のための行動」を起こさないのは、何の役にも立たないからおかしい!という記述も見られました。
本当に「おかしい」でしょうか?
中にはその行為や言葉に慰められる人もいるかもしれません。
私たちは一人ひとり異なる経験を持っています。
その経験から、異なる情報収集のクセや考え方のパターンを身につけています。
それに応じて、判断や行動が決まります。
実は「これが正しい!」と思っていることは「私の脳が拾った限られた情報においては、
これが正しいと思い込んでいることに過ぎない」ことです。
こう感じないのはおかしい、こう考えるべき、こういう行動を取るべきという、
「捉われ」が視野を狭めるリスクがあります。
特に日本では、誰かが人と違う行動をとったり、
人と違う意見を持ったときにバッシングして皆同じ考えや価値観に為らそうとする傾向があります。
でも、上記のような理由から、 答えは一つではありません。
これからも様々なニュースに接し、
意見に出会う折々に、このことをほんのちょっと思い出して頂けたら、と思います。
私たちは多様性の中で生きています。